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こんにちは。国会事務所の秘書の吉澤直樹です。 洞爺湖サミットが近づいていることもあり、地球温暖化問題、エネルギー問題がメディアでも国会でも取り上げられることが多くなっているように感じます。中谷さんも最近の経済産業委員会で、新エネルギーに関する質問を二回しています。原油価格の高騰もあり、太陽光発電をはじめとする新エネルギーについては、開発の必要性とコストのバランスについて、まだまだ議論も必要ですが、具体的な行動も必要だと思います。 少し前に見たアニメでは、西暦2307年という設定だったのですが、石油などの化石燃料が枯渇し、国際的にその輸出入が禁止され、エネルギーは宇宙に設置された太陽光発電システムから軌道エレベーターを通じて供給されるということになっていました。アニメですので、宇宙空間に太陽光発電システムを設置することはできるのか、軌道エレベーターなんて造ることができるのという疑問はあります。しかし、そのアニメでは、軌道エレベーターを持つことができるのは、ヨーロッパ、アメリカ、そして統合したロシアと中国の3極を中心とした国家群(ちなみに、日本は三番目の国家群に含まれます)に限られること、旧産油国が太陽光発電システムを設置するために国連のような機関に経済援助を要請していることなどが設定されており、単にアニメとして片付けきれない気もしていました。アニメも、社会情勢をかなり鋭く分析して制作するようになったのだと、改めて感心しました。 さらに、本日(5/20)の経済産業委員会では、宇宙空間に太陽光発電システムを設置し、マイクロウェーブやレーザーでエネルギーを地上に送るという技術について質問が行われ、甘利経済産業大臣は、“十分実現可能性はある”と答弁していました。“軌道エレベーター”はともかく、“宇宙に太陽光発電”は、もうアニメの世界だけものではないようです。ということは、“ガンダム”も・・・。 失礼いたしました。 2008年5月 吉澤直樹(国会事務所) こんにちは。国会事務所の秘書の吉澤です。 私は、現在、埼玉県さいたま市に住んでおり、環境問題の市民活動に無理のない範囲で参加させていただいています。その中で、個人的に力を入れているのが“エコドライブ”の推進です。以前にも書かせていただきましたが、前職のシンクタンクでは、環境問題を中心に調査を行っていましたが、その中で“エコドライブ”は高い関心を持って仕事を行っていたテーマの一つでした。 エコドライブとは、ご存じの方も多いと思いますが、一口に言えば、“環境に優しい運転”“CO2をあまり出さないようにする運転”ということです。この話を市民活動の団体の会合で初めてした時には、“そもそも車を使わなければいいのでは”という意見が真っ先に上がりました。もちろんその通りで、その点については反論できませんし、するつもりもありません。“脱自動車”は、望ましい社会の一つのモデルかもしれないと本当に考えています。しかし、現在の生活で“自動車を使わない生活”をすることは多くの人にとって難しく、その意味で“エコドライブ”は必要な取り組みだと思っています。具体的なエコドライブの方法については、インターネット検索で“エコドライブ10”というキーワードで、紹介する団体のHPにアクセスできますので、そちらでごらんいただければと思います。 ところで、私のエコドライブの推進活動の方ですが、こちらはまだまだ発展途上です。昨年の12月に一度だけエコドライブの講習会を開くことができたのですが、あまり参加者を集めることができず、不完全燃焼でした。それでも、講習会に来てくれた人の視点や意見をお聞きすることができ、とても勉強になりました。環境問題も、政治でも、国民や市民に思いを伝え、行動に結びつけて頂くという活動は、当然ですが、簡単ではありません。私も、地道に色々な工夫を積み重ねて行きたいと思います。 ※もし、エコドライブに興味があって、推進に取り組みたいという方がいらっしゃったら、遠慮なくご連絡ください。 2008年4月 吉澤直樹(国会事務所) はじめまして。1月から国会事務所の秘書をしております吉澤直樹と申します。どうぞよろしくお願いいたします。 これまで秘書の経験は全くなく、昨年の12月末までは民間のシンクタンクに勤務していました。シンクタンクでは、環境問題を中心に、エネルギー問題、ソーシャルエコノミーに関する調査のほか、介護保険、行政改革などをテーマとする調査も経験しました。 1月から政治の世界で働き始めたわけですが、率直な感想としては、非常に刺激的であり、またいろいろな意味で“日本”を感じる職場であるということです。シンクタンクの仕事もあるテーマを掘り下げたり、様々な問題を結びつけて考えるという意味では刺激の強い仕事ですが、情報が集まること、政策の意思決定に直結することという点で、政治の世界の方が私にとっては刺激が強い、面白いと感じられます。また、日本の社会がどうあるべきか、私たち国民の幸せを実現するために何をすべきかということを考え、議論している場であること、そして、良い意味でも悪い意味でも日本的な人間関係が濃い世界であり(シンクタンクの世界がかなりドライな人間関係だったせいかもしれませんが)、その点で“日本”を意識する場面が多々あります。 私自身、国会事務所の秘書の仕事の全貌を十分に理解していないので、まだまだ手探りのことが多いですが、そのことに楽しみを感じながら仕事をしていきたいと思います。また、シンクタンクで働いていたこと、政治には情報が集まりやすいことから、調べものは得意です。国の政策などで疑問に感じたことなどがありましたら、どしどしとお寄せ下さい。中谷ともよく話しているのですが、皆さんから寄せられる“生の声”はとても貴重です。改正建築基準法の問題にも当てはまるかもしれませんが、政府は机上の空論に流れてしまうことが多々あります。政治は、そうした矛盾を糺していくことが重要な使命です。良い社会を作り後世に伝えていく権利と責任を持つ皆さんからのご連絡をお待ちしております。 今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。 2008年3月 吉澤直樹(国会事務所) 「中谷さんのポスターよう貼れとるなぁ、がんばっとるなぁ」最近みなさんからお褒めの言葉をいただくようになりました。連日の30℃を越える気温と重くのしかかってくる湿度でフラフラになる毎日ですが、皆さんの声に励まされながら、今日も東奔西走、がんばっています。 2006年7月 仁木利典(徳島事務所) 秘書としての活動を始めてからもうすぐ半年になります。サラリーマン時代は、お客様を訪問するといってもほとんどが徳島市内で、遠くても鳴門市や板野郡まででした。しかし参議院選挙は全県区、本当に徳島県のすみからすみまで歩き通さなくてはなりません。 2006年6月 仁木利典(徳島事務所) 中谷事務所にくるまでは私も普通の(?)サラリーマンで、特に政治的な活動はしていませんでしたが、それでも政治に全く関りがなかったわけではありません。二〇〇五年の衆議院選挙では選挙区(一区)の開票立会人として、みなさんがテレビの前で開票速報に釘付けになっていた日曜日の夜、私は市立体育館の中で汗だくになりながら票を数えておりました。 とは言っても私が実際に票を数えるのではなく、県や市から借り出されてきた職員の方が各候補者ごとに千票ずつ束ねた物を積み上げていきますので、それらにハンコを押していくだけです。しかしこれがやってみるとなかなか大変で、最初の一束こそ運ばれてくるのを待ちわびていましたが、一旦回り始めるとどこかの機械工場のように絶え間なく流れてきます。ハンコを押しては隣に回し。ハンコを押しては隣に回し。指が真っ赤になっても束がなくなる気配はなく、それどころかちょっとでもモタつけば、目の前の山はさらに高くなってしまいます。 各候補者の端数の束が運ばれてきて、賽の河原のように繰り返された作業もようやく終わるとホッとしたのも束の間、今度は無効票の束が運ばれてきます。票の数そのものは有効票よりもずっと少ないのですが、無効の理由ごとに分けて束ねてあるので、ここでも結構な回数ハンコを押すことになります。しかも、無効と判定されたものの中には自陣営の有効票となりうるものがあるかもしれませんので、皆一枚一枚丁寧にチェックしてからでなければハンコを押しません。票の残りとチェックにかける時間は見事に反比例します。 最後の一票を確認したら、今度は票を詰め込んだダンボール箱と確認書にまたハンコを押し、やっと終了となります。やれやれやっと帰れる、でもどうせ当確が出た時点でみんな浮かれて飲みに行って、もうとっくに誰もいないよなぁなんて考えていると、「選挙区の立会人は、比例の開票が終わった後で最高裁判所の開票もしてください」との案内が。 開票作業が夜中の十二時を過ぎると借り出された職員の方は翌日が有給になるそうですけれども、立会人をやっているサラリーマンにそんな制度はありません。私、明日仕事があるんですけど(泣) 結局開票所を後にしたのは夜中の一時頃で、翌日は眠い目をこすりながらお仕事にでかけました。 2006年2月 仁木利典(徳島事務所) 「さぁ、がんばるぞ」 新年あけましておめでとうございます。 私も秘書となってはや1ヶ月がたちました。年末年始という1年で最も忙しい時期に事務所に入ったため、仕事に慣れる間もなく朝から晩まで目まぐるしく走り回りましたが、おかげで様々な会合に参加させていただくことができました。年末年始のごあいさつで多くの方々とお会いし、中谷智司への応援や民主党への叱咤激励、政治家秘書としての心構えなどたくさんのありがたいお言葉を頂戴しました。1つ1つを大事に心に刻んで精進していきたいと思っております。 自分ががんばったことにどれくらいの成果があったのか見えにくい世界ではありますが、事務所に後援会ハガキが返ってくるたび、町中で候補者が自転車に乗ったポスターを見るたびに中谷智司への暖かい支援の輪が徐々に広がっていくのを感じます。しかし新人なのでどうしても知名度が低く、まだまだ私共は非力です。池に投げ込んだ1つの石は小さな小さな波紋を起こしますが、あまりにもか弱いその波は池の端にたどりつくまでにかき消されてしまいます。その波がかき消されてしまう前にもう1つ石を投げ込めば、小さな波紋はもう少し先まで届きます。石をどんどん投げ込めば波はどんどん強くなり、やがては池の隅々まで届く振動になります。皆様お一人お一人のご支援が新しい世界を作る大きなうねりとなるよう中谷智司と一歩一歩進んでまいりますので、本年もより一層のお力添えをよろしくお願いいたします。 2006年1月 仁木利典(徳島事務所) 中谷さんとの出会いは、今年(2005年)の衆議院議員選挙でした。 逆風の選挙戦の中、ある時は仙谷代議士の代わりに、ある時は高井代議士とともに、中谷さんは徳島県中を全力で走り抜いていました。一生懸命戦いながらもさわやかさを失わないその姿に、新しい時代の政治家を予感したことをはっきりと覚えています。 業界の利権や親の名前を背景に立候補する政治家が多い今の時代に、ふつうのサラリーマンが政治を志すというのは並大抵のことではありません。しかし中谷さんは、ふつうの人がふつうに政治に参加することは当たり前のことで、その当たり前のことが当たり前にできる世の中にしていきたいという夢を掲げて頑張っています。 この中谷流のフレッシュな風を参議院に送り込むべく、中谷さんを応援してくださる皆様とともに、私も微力ながらも女房役として支えていきたいと思っております。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。 2005年12月 仁木利典(徳島事務所) |
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